ジェンダー フェミニズム 自己肯定

なぜ女性はズボンを履くのに、男性がスカートを履くと笑われるの? – 女性らしさは笑いの対象じゃない!

みなさんこんにちは。本日の話題は、社会の中の「女性らしさ」の捉えられ方についてです。分かりやすい例を言うと、女性がズボンを履くのは自然に受け入れられているのに、男性がスカートを履くことはなぜ浸透していないのでしょうか。どうやら、女性の男性らしさと、男性の女性らしさには、社会の中の寛容具合にかなりギャップがありそうです。このスカートとズボンの例について、ネットで調べると、「長い歴史の中でみると、男性がスカートを履いていた時代もあり、現代でもキルトなど、男性がスカートを履く文化もある」とか、「家父長制の中で、は動きにくいコルセット×スカートのようなファッションを女性は強いられていた」うような歴史的背景を説明する記事はたくさんあります。

しかし、今回はその歴史的な背景よりも、現代社会において女性が男性らしく振る舞うことは寛容されているのに、男性が女性らしくすることが許されないのかについて、様々な例を交えて考察し、その根底にある考えを紐解いていこうと思います。

女性が男性らしくふるまうこと vs 男性が女性らしくふるまうこと

※ここではあくまでも一般的な例を挙げています。実際に全ての人が同じ思いをしている訳ではないし、当てはまらない場合もあります。

日常の中で、女性が男性らしくすることに比べて、男性が女性らしくすることの方があたりが強い場面を想像してみてください。

1. ズボンを履く女性 vs スカートをはく男性

街でズボンを履いている女性がいるのは日常で、誰も気にかけないことですが、スカートを履いている男性がいれば、沢山の人の注目の的(殆どの場合好奇の目に晒される)となります。お笑いでもよく、男性芸人が女装して笑いと取る場面がありますよね。

2. 髪が短い女性 vs 髪が長い男性

今や女性のショートカットはおしゃれの一つなのに比べると、髪が長い男性はショートカットの女性に比べても圧倒的に少ないよね。特に束ねていない場合は、これも街中では視線を浴びることが多いのではないでしょうか。また、男性の長髪は特に会社などの場ではだらしなさと結び付けられており、切るように注意さえされる場合がありますよね。

3. 少年漫画を読む女性 vs 少女漫画を読む男性

これも面白い例で、少年漫画を好んで読んでいる女子は結構いるし、公言もしやすいが、反対に少女漫画を読んでいる男性にはほとんと出会ったことがない。おそらく数も少なければ、公言できない雰囲気があるのではないでしょうか。

4. 運動部の女子 vs 文化部の男子

女子は運動部でも文化部でも、他人に自分が所属している部活について公言できるけれど、文化部に所属している男子はなんとなく「弱さ」と結び付けられて肩身が狭い、なんてことあるのではないでしょうか。(一方で一部の運動部には男子しか部員がおらず、女子が参加ができる運動部の幅が少ないこと(野球やサッカーなど)はまた別の問題ですので、別の記事で書くことにします)

この他にも、人前で涙を流すことは女性よりも男性の方が適切でない、とされていますよね。このように、普段の生活の中で、女性が男性らしく振る舞うのはよしとされているのに、男性が女性らしく振る舞うことはそれに比べると制限されている場面、なんとなく多いと感じませんか?(お前女子かよwというネガティブなツッコミ、男子かよwというツッコミより遥かに多く、テレビや日常で聞きますよね。)

これは、男性にとっても、女性にとっても生きづらさに繋がります。男性にとっては、もちろん格好や振る舞いが制限されるため、自分が心から好きなファッションや好きなことを制限されてしまうことに繋がりかねません。そもそも、スカートを履くことや髪を伸ばすことが選択肢に入りすらしないので、その願望すらない人が多いのかもしれません。

では、この状況、女性にとってどのような不利な点があるのでしょうか?それを説明するのに、一つみなさんに見ていただきたい動画があります。

女子みたいに走ってみて

https://www.youtube.com/watch?v=XjJQBjWYDTs

このビデオの内容を要約すると、中高生の男女に、「Run like a girl」=女子みたいに走ってみて、とお願いします。するとビデオの最初の数名のように、笑いながら腕を横に振り、髪の毛を気にしながら、とても速く走るとは思えないようなフォームで走ります。これはアメリカで作成された映像ですが、日本でも同じような感覚かな、と思います。

しかしその後もう少し年齢が若い10歳前後の子どもに同じ質問をします。思春期前の、まだジェンダー規範にあまり影響されていない子どもたちに同じ質問をしたということですね。すると、聞かれた子どもたちは、先程とは全然違って、真剣な顔で、かつ速く走れそうなフォームで、必死に走ります。

中高生にとって、女子みたいに走ることは「ヘラヘラしながらかっこ悪い走り方をする」ことなのに対して、ジェンダー規範に影響されていない子たちにとっては、女子みたいに走ることは「全速力で走ること。」なのです。

私たちはメディアや家族、友人からの影響を受けて、「女性らしさ」とはこういうもので、それは笑いものにされるものなのだ、という考えをいつの間にか植え付けられている、そんなことを気付かされる動画です。

男女の地位にランクがある?!

女子らしい行動や格好は笑いものにされるということが、女性にとって不利益な理由、なんとなく分かっていただけましたか?何よりもシンプルに、女子らしい走り方は格好悪い走り方であり、女性らしい格好は男性がすると格好が悪い、という考え、女性にとって失礼だと思いませんか?また、このような考えに至るには、そもそも男性の社会的地位が女性よりも高いことが前提になっていると私は思うのです。もう20年以上も前に出版された本ですが、この社会的地位についてわかりやすくまとめている部分があるので以下にて紹介します。

男性が上で女性はワンランク下という序列が前提として存在するとしよう。その場合、下に置かれている女性が時々上位の男性のかっこうをしてランクアップした気分になるのは、まあ気晴らしとして許される(常に、あるいは完全に男性と同格となろうとする女性は厳しく排除されるが)。

一方、「身分が上」のはずの男性が、わざわざ「卑しい」女性の立場に身を落とすなどということは、まともな人間のやることではない。そんな馬鹿げたことをする者は排斥されて当然である……というわけだ。

馬場靖雄『社会学のおしえ』ナカニシヤ出版 1997 p.87-88より

男女の社会的な地位について意識し始めると、女性らしいファッションが男性モテと結び付けられているのも、何か深いものを感じますね。いわゆる地位の低い女子らしいファッションをするほうが地位の高い男性にとって望ましい、コントロールができる存在として理想の女性ですよ、という考えが無意識のうちに浸透しているのかも、と私は考えてしまいます。無論、私はスカートを否定しているわけではありませんし、これらの背景を理解した上で、誰もが本当に自分が心から好きなファッションができる世の中になればいいなと思っていますよ。

女性らしさは決して侮辱されることではない

女性らしさは決して笑われたり、からかわれたり、侮辱される対象のものではありません。学校で、お前女子かよ、と男子をからかっている友人を見かけたら、「ん?それはどういう意味なの?」と議論を初めてみましょう。そしてもちろん、女性らしさをからかいに使うことは誰にとってもメリットがないことですので、やめておきましょう。

街で長い髪にスカートを履いて、自分らしいファッションを楽しんでいる男性を見かけても、私たちは決して笑うべきではないし、テレビで女装している芸人を見て面白いと思ってしまうなら、大声で笑う前に、なぜこれを面白いと思うのか、一歩止まって考えてみて下さい。

これからの女性らしさは、とってもかっこよくて、強くて、賢くて、かつ優しくて、褒め言葉として使われるべき言葉になってほしいと心から思うし、人それぞれ女性らしさの定義は違っても、その人にとってポジティブで心が明るくなるような言葉であって欲しい。そんな女性らしさを作るのは私たち一人ひとりです。今日から女性らしさの再定義を始めましょう!

参考文献

馬場靖雄『社会学のおしえ』ナカニシヤ出版 1997

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