女子は毛を剃らなきゃだめ? – ムダかどうかは自分で決めていい! –
先日、このような広告が私の目を引きました。
「ムダかどうかは、自分で決める。」毛が生えている脇を堂々と見せた女性の広告とともにこのキャッチコピー、この広告を見て私は「やっときたか!」と、とても嬉しい気持ちになりました。
一般的に日本では、特に若い人の間では「女性は脇毛は剃るもの」、という考えが大半を締めています。それと同じように見える場所に毛が生えていることはNGとされています。
私は小学校の高学年から、腕や足に生えてきた毛が気になりはじめ、姉の影響で腕や足の毛を剃り始めました。同級生が剃り始める少し前に剃りだしたので、その時自分の毛のない腕を見て、少し誇りに思ったのを覚えています。また同時に、腕をまくった時や水着を着た時、ふと自分の肌を見て毛が生えていると恥ずかしい気持ちにもなりました。
ではなぜ「毛が生えている状態が恥ずかしい」と思ってしまうのでしょうか?なぜ男性は毛を剃らないでありのままでいてOKなのに、女性はNGなのでしょうか?
目次
全ては広告から始まり、現在も大きな影響を持っている
女性が脇毛を剃るようになったのは、アメリカでそれまであまり主流ではなかった、ノースリーブの洋服が着られるようになったのと同時に、アメリカ最古のファッション雑誌、Harper’s Bazaar (現在日本でも発行されている人気ファッション誌) にて、1915年に以下ような広告が出たのが始まりと言われています。この広告にはノースリーブを着た女性が毛が剃られた脇を見せて踊っている様子で、『ノースリーブで踊るなら、objectionable hair の除去は必要だよね』というキャッチコピーが添えられています。objectionable とは、不快な・イヤな、という意味があり、objectionable hair はまさに日本語でいう「ムダ毛」にあたります。
この広告からはじまり、この後も数々と脇毛をきれいに剃った女性の姿が広告に現れ、アメリカでは脇毛を剃ることが一気に浸透しました。
この流れが日本にやってきたのは、洋装が西洋諸国から入ってきた1960年ごろからと言われています。そこから徐々に雑誌や広告などの影響もあり、見える部分の毛は剃るのが女性のエチケット、という考えが浸透します。そして近年急速に若年層へ広がっていった脱毛の流れを助長したのは、永久脱毛ブームがあります。ここ5年10年で急速に永久脱毛の広告が目立つようになり、TVや雑誌、電車の広告で様々な脱毛クリニックが競うように宣伝をしているのを、みなさんも目にするのではないでしょうか。
国内での広告の激化→「モテ」と結び付けられる女性の毛
アメリカの脱毛文化の始まりも広告なのと同じように、日本でも広告の影響は絶大です。かつ、広告はうまく私たちの不安を煽るような演出をして、脱毛をしたい気持ちにさせるのです。例えば、水着の女性が楽しく笑う写真と共に、「この夏笑えるように今から脱毛しておこう!」とか「今からでも夏に間に合います」といったキャッチコピーを使って、脱毛をしないで毛が生えたままの体だと水着で楽しめない、毛が生えたまま水着を着るのは恥ずかしい、という認識を私たちに与えます。
また、別のよくある広告のパターンが、男性モテと結びつけられている広告です。男性が女性の毛がない肌をみて「きれい」と思っているという構図や、デートやセックスに結びつけて「触れ合う肌は毛がない方が男性受けがいい」というメッセージのものです。これも男性にモテるには毛が無いほうがいいという認識とともに、男性側にも女性は毛が無いほうが美しい、という誤った認識を与えてしまいます。
近年、男性の毛も対象に
それだけでなく、近年男性にも広告の魔の手が忍び寄っています。ヒゲの永久脱毛など、男性の毛の永久脱毛の広告も目立つようになり、同じように「毛を剃るのは男性のエチケット」というものや、モテと結びつけられるものも出てきています。現在はまだ、私の感覚ですが、男性の脱毛に関しては剃っても剃らなくても許容されている状況にありますが、これが過剰になり、男性にまで脱毛を求める風潮にならないか、心配でなりません。あくまでも剃っても剃らなくてもいい、選択肢が自由であることが重要です。
生えている毛はすべてムダではない!
そもそも当たり前ですが、体には必要であるから毛が生えています。特に頭、脇、デリケートゾーンは体の大切な部位なので、それを守るために濃いめの毛が生えています。また、身長や目の大きさに個人差があるように、毛の濃さも個人差があり、男性にも濃い人薄い人がいて、同じように女性にも濃い人薄い人がいます。それなのに、毛=男性らしさと結び付けられてしまい、女性は毛が薄いものだ、とか、毛が薄い男性は男らしくない、という間違ったイメージをこんなにも多くの人が持っている社会は、実際の多様性をガン無視した、生きにくい社会です。
ムダかどうかは自分で決めていい
私は決して、たくさんの女性が毛を剃っていることを否定しているわけではありません。それで自分に自信が持てるなら、少しでも前向きになれるならいいことです。しかし、剃らないという選択肢もみなさんにはあり、その選択をしても自分を恥ずかしく思う必要もないし、毛を剃っていない人をダメだと指摘する権利も誰にもないんだ、ということを伝えたいのです。
このような背景があり、最初にご紹介した「ムダかどうかは自分で決める」という広告に感動したのです。どの電車に乗っても脅迫観念のようにムダ毛を剃れ、さもなくば…と広告から脅されている気分になっていた私にとって、この広告は本当に輝いて見えました。
メディア、特に広告が私たちに及ぼす影響は絶大で、じわじわと、そして確実に私たち恐怖や焦りを煽り、製品を購入させようと仕向けます。特に女性をターゲットにした広告はその傾向が強く、アメリカには広告が女性に与える悪影響を題材にしたドキュメンタリーも数多くあります。また次回以降の記事で、広告についてはピックアップしてお伝えするつもりです。
広告の影響、広告の意図を知らないで内容を鵜呑みにするのと、影響を学んだ上で「んなわけあるか!」とツッコミを入れながら広告を批判的な目で見ることができるのとでは大違いです。メディアや周りの人の「普通」に影響されるのではなく、自分自信の価値観で、自分がムダだと思うなら毛はそればいいし、そうじゃないなら残しておけばいい、そんな選択が躊躇なくできる社会になってほしいと思います。